|
ボウゾッフ城は14世紀初頭、プラハ間との交易ルートを守るために、モラヴィアの貴族政治によって使命を受け、創建された。ボウゾッフ城の最初の所有者となったのは、モラヴィア貴族のブズ(Buz)であった。
ボウゾッフの語源ともなった貴族である。彼についての文書は、1317年にさかのぼる。チェコとモラヴィアの貴族間で所有権は移り渡ったが、最も著名な所有者に1458年~1471年まで支配したイジー・ポディェブラディ王(Podebrady)がいる。17世紀後半、城の転機が訪れる。北モラヴィアのほとんどを支配しているドイツ騎士へ支配権が売り渡された時である。しかしながらハプスブルグ家(1895年~1910年)に支配権が移ると広い範囲にわたり革新的で、根本的な復元が施される。ボウゾッフはもとの形を残しながら、ルネサンス様式も取り入れられたロマンチックな城に生まれ変わった。
城の中心に高い塔がそびえ立ち、南ドイツの城をモデルとした、中世のバロック様式からルネサンス様式で再建された。特に内部は巧妙な装飾に重点が置かれた。復元に携わった煉瓦工、木工職人、石工職人などは、おもに地方の人々であった。その完璧な仕事は、過去から学んだ民族の誇りと精神に高い技術が重なった表れであり、 訪れる者の心に訴える。
輸入された絵画、彫像、家具および調度品は複製、近代模造によって備えられた。後期ゴシック様式の彫像、パネル画、ルネサンスおよびバロック様式の家具、調度品はヨーロッパ中から集められた。例外的歴史価値は、ドイツのホーメック(Homek)からもたされた1395年~1515年からのドイツマス ター墓碑のセットである。チャペル、騎士の間、集会広間には豊富な装飾で印象付けられる。
|